巣鴨の前校長・堀内政三先生が亡くなりました。哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。
とにかくとんでもない人で、堀内先生をご存じない方にはおそらく想像がつかないだろう傑物だった。巷では石原慎太郎を暴走老人と呼ぶ人がいるようだが、堀内先生に比べたら石原慎太郎も安全運転レベル。堀内先生は失言も暴走も夢も演説も規格外だった。ワル鴨を屈指の進学校まで育て上げた才覚は伊達じゃない。
夢が半端なく大きくて、私たち凡人生徒の想像を超えていた。「新幹線を学校前まで延長させ、巣鴨学園前駅を作るんだ!」とよく吠えていた。堀内先生を知らない人は法螺だと思うでしょう?でも、たぶん堀内先生は本気だったと思う。常に目が真剣だった。冗談は言っても嘘はつかない人だった。
朝礼もすごかった。私が通っていたころは週3回も朝礼があったのに、堀内先生はその日の気分次第でいくらでも延長するから、生徒がバタバタと貧血で倒れていった。夏は日射病で倒れる生徒が多かった。学年が上がると私たち生徒も耐性ができて1時間程度の朝礼ではびくともしなくなったが、耐性の無い新中学1年生は次々と倒れて保健室に運ばれていた。その様子を見て、「ああ、もう4月か。そろそろ大菩薩だな」と風情を感じたりしていた。
堀内先生は信念にブレのない人だった。「心身を養えば学力が伸びる」と本気で信じていて、その信念だけで巣鴨を進学校へと変貌させた。そういう前時代的な信念と誤解されやすい失言が、最近の保護者・生徒には敬遠されていたのだろう。正直、私も迷惑に思っていた。「ふんどしをしめたら勉強ができるようになる」という超絶理論がよくわからなかった。でも、堀内先生は生徒から愛されていた。口うるさいおじいちゃんを愛でる感覚だった。みんな、堀内先生の壮大な夢を苦笑いしながら聞いていた。
たしかに失言は多かった。しかし、その多くが誤解されて広まっていたように思う。「教育は調教」という言葉も、それは物の喩えであって、「男の子はすぐにさぼるから、鍛えて億劫がらない性格にする必要がある。怠け心を直す必要がある。巣鴨はその矯正をやる!」という意気込みにすぎない。
「君たち生徒は馬だ!」という言葉も、その後に「しかしサラブレッドだ!誇りを持て!」という台詞が続く。ここまで知らないで批判している人が多くて、とても悲しい。
しかも、堀内先生はどれだけ激烈な言葉を放っても、絶対に体罰だけは認めない人だった。巣鴨が体罰容認だと思っている人は、世間でのイメージに毒されている。巣鴨では体罰・暴力・喧嘩は絶対禁止。問答無用で退職・退学。喧嘩も、普通の私立なら退学にはならないけど、巣鴨は言い訳すら聞いてもらえない。堀内先生は「男なら責任を自分で取れ」という考えだった。まあ、そういう古風な生き方をさせるところが「巣鴨は厳しい」という悪評に繋がってしまうのだろう。実際はゆるい。
中学2年生のとき、堀内先生と直接話したことがある。1月31日に、中学入試の準備で机や椅子を片付けていたときだった。それまで巣鴨は2月3日と2月5日に入試をしていたが、この年から2月1日に入試日を変更。その影響で偏差値が10近く下がった。下がった理由は他に、ある大手進学塾を堀内先生が面前で罵倒したからというとんでもないことも影響しているが、入試日の変更が一番の原因だろう。その変更について先生に聞いてみた。
私「2月1日に変更したら偏差値は下がりますよね。失敗じゃないんですか?」
堀内先生「2月3日や5日だと、学力はあっても巣鴨が第一志望じゃない子ばかりが合格する。それだと、本当に巣鴨に入りたい子に申し訳ない。だから変更したんだ」
そのときはやせ我慢だと思っていたが、大人になった今、あれは堀内先生の本音なのだとわかる。「巣鴨に通いたいという子に巣鴨の教育をしてあげたい」という堀内先生の信念は亡くなるまで変わらなかった。